正義感のプラカードとビジネス

masturbation to transcend  Dad 2019 F8 水彩
masturbation to transcend Dad 2019 F8 水彩
父さんを超越するオナニー、というタイトルの絵。とある国の為政者を糾弾するために描きました。
私は正義感が強い子供でした。そのまま大人になり理不尽な世の中に怒りを覚え、それを作品にすることがあります。しかしその作品はとても不評でした。「まるでデモのプラカード」とも。説教くさいのでしょう。「アート」になってないのかもしれない。怒りの共有では人は感動しない。お金も動かない。

私は一時期アートアクティヴィズムなのだと、自分を思った。でもゲリラガールズやバーバラ・クルーガーの画像ややったことを見て自分のやりたいことと激しく乖離してると強く感じた。

正義感の強い子どもとさっき書いた。つまり悪者を許せない狭い心の持ち主でもある。時に暴力をつかっても排除すべきだと考える節がある。ケンカもしたこともないし爆竹を使ったイタズラもしたこともない。また、その予定もない。
でも心はいつもゲリラと同じ。テロリストと同じ心境です。危険因子です。

日本生まれ日本育ちですがアイリッシュや在日コリアンにシンパシーを感じます。

正義はとても危険。そしてビジネスにならない。どんなにフェミニズム的に正しくても、人道的に正しくても、そのままプラカードを書いたら私はアーティストとして歴史に評価されない。私はそれを望まない。
私は政治活動家として評価されたくない。飄々と生きた変な人でいたい。

しかし話は戻るが弱い者を虐げる言論や空気には我慢がならない。生まれた場所や肌の色、話す言葉、貧しさ、ジェンダーなど、そういうことで人が差別されるのを黙って見ていられない。頭が沸騰しそうだ。

デモのプラカードはビジネスにならない。アーティストの勲章にもならない。私は前回のブログで「好きで絵を描いてるのを恥じない」というようなことを書いたと思う。しかしそれは心地いい絵を描いて一生を終えたいという意味ではない。

この道で身を立てねばならない。ビジネスをしなくてはならない。
私はどこにいるのだろう?私はどうすればいいのだろう?人生の大きなテーマです。