なぜ描くのか?ダーク耽美だけでは意味がない

私が絵を描き続けている意味というか理由、理念のようなものの話をお話します。



私の描く絵は、おそらくジャンル的には、ダーク、耽美、イラストレーション風、ポップアート、、まあそんな感じに見られると思います。それは、当たってもいるけど外れてもいます。

私がこんなにもしつこく描き続けているのは、私の強い願いがあるからです。叶えたい夢とでもいいましょうか(すこしプロフィールの部分とかぶります)


2011年は、東日本大震災がありました。日本中が恐怖し、それまで信じていたものが崩れる音がしました。実際は、東北以外はNHKを始めとするマスメディアを中心とする文化のままなのですが、崩れ去る気配だけは、しました。

津波で亡くなった数えきれない人たちには、もう何も言えないし、埼玉で揺れを感じた私には当事者として語っていいのかすら、わかりません。


私が今気にしてるのは、実は同じ年に起きたシリア内戦、およびそれによる難民問題なのです。

2018年5月現在も終わりません。たくさんの民間人(子どもや医療従事者含む)がバシャール アサド政府軍や、ロシアの爆撃で亡くなっています。

でも日本では、あまり報道されないどころか難民へのHateまで出てきてる次第です。そもそも日本の入管は、ほっっとんど難民申請を受け入れない「後進国」ですけどね。


ロヒンギャ族への迫害も気になります。もはや、あれは民族浄化です。

南スーダンも気になります。


2017年の11月に私が開いた個展は「なんみん展」と称して、売上を全額、国連難民高等弁務官事務所に寄付する企画でした。でもご縁がなくてまったく売れませんでした。自分の努力を否定された気もしたし、なにより、そんなことより1円も力になれなかった事実に落ち込み、数日間 うつ状態でした(元から通院してます)



話がだいぶずれましたね。

「ダーク耽美では、意味がない」です。その話をしましょう。


私が描くのは上手な絵、技巧的に優れた絵ではないし、またそれを求めてはいません。伝えたいのは、今現在、社会で起きている問題を少しでもマシにするために、絵を描くだけが取り柄の私が役に立てるアクションがないか?という念がこめられています。


自殺問題、アメリカの銃規制問題、違法薬物問題、貧困、社会の中での孤立、孤独感、思春期の視野狭窄による悲しい生き方、そして戦争や飢え、難民問題、、、


世の中は問題だらけです。もし、私の絵の核心に触れ心が動く人が居ればその人の人生に光がさすかもしれない。ただの紙と絵の具だけど人の心を変えられれば世の中はほんの少しだけでも「動く」のでは、ないだろうか?そう考えています。信じています。もはや信仰です。


だからこそ、たんに「耽美でキレイ」「ダークでかっこいい」だけ伝わるのでは、意味がないと考えています。私の絵はインテリアには、ならないかもしれません。特に最近のは、グロテスクすぎるから。でも、そこが大事です。

インテリアでは、ないのです。人の心を、人生を、世の中を揺り動かす、バタフライの羽音なのです。

「なんとなく部屋に置きたい絵」など描きたくもないのです。



私は、年齢は公開していませんが、あまり若くもありません。年下の画家にどんどん追い抜かれています。スタートが遅かったのも原因です。あまり健康ではないので長生きもできないかもしれません。

でも、私は残された全ての時間をこの活動に捧げたいんです。百年、千年残る絵を描きたいというのもあるけど、とりあえず今、今、この世の中をマシにしたい。

宗教を広めることでも政治家になることでもなく、私のできること。


絵を描くこと。それを発信すること。